母は奇跡の人(1)

母は三次市高杉町上杉にて一九三〇年三月二十七日、山田清四郎(父)とキサノ(母)の元、三女として産まれた。(姉二人、弟一人、妹二人) 物心ついた頃より聞いた歌はすぐ覚えてしまうほど歌が大好きな子供だった。四歳の頃、生死をさまよう程のジフテリアにかかった。高熱が続き引き付けて目の玉が内側に入り息も絶え絶えとなり医師からも「もうダメだろう」と言われた。必死の思いで母親が医師に頼んで注射を二本打ってもらった所、フーッと息をし、暫くして意識が戻ってきたという。しかし後遺症が残り目の玉は内側に入ったままで目も見えず「このまま生きていても可哀想だ」と両親は思っていた。大好きな歌も歌わなくなった。小学校に入学する頃には少しずつ片方の目の玉は戻ってきたがもう片方は内側に入ったままだったので「よそ!よそ!」と言っていじめられいつも泣いていた。そんな小学校一年生の頃(五月初め頃)家の裏にある井戸の水を汲もうとして誤って落ちてしまった。まだ小さかった母にとってはかなり深い井戸だった。母は必死で井戸の壁石にしがみついて助けを呼んだ。傍にいた友達が両親に知らせてくれたが駆け付けた両親はもうダメだと思って足も震え動けなくなってしまった。そんな時井戸の底から、「おかあさ~ん、おかあさ~ん」と呼ぶか細い声がして生きていると思ったと言う。近所の人が井戸に降りて助け上げてくれた時は皆で大泣きをした。正に母は奇跡の人だ。その数か月後、お稚児さんの催しがあり三日間かけて数ヶ所のお寺参りをしていたのでそのそのご利益があったのだろうと母は思っている。色々な苦難を乗り越えた母の目は小学校を卒業する頃には元に戻っていた。

                               つづく