父、再度入院

退院後の父は安定しているようにみえて少しずつ様子がおかしくなっていた。パジャマのままで畑に行ったり失禁も増えてきた。トイレも上手く出来ず汚したりもしていた。昼間も寝ていることが多くなっていた。母は母で口の中に湿疹が出来たり原因不明の痙攣も頻繁に起きていた。一旦つまづくとあれよあれよと崩れていくようだった。これが歳を取るという事なのだろうか?両親の老いを実感した。一方、大変な中にもゆずの一ヵ月検診は順調だったし次男の所は二番目のおめでたの知らせもあった。又、年末には十年ぶりに甥が大阪から来てくれた。姉二人も来ていたので久しぶりの再会に話しが盛り上がった。夜遅くまではしゃいで話し込んでいたので眠っていた父から「うるさい」と雷も落ちた。思えば父が自宅で過ごした最後の年末年始だった。年が開けると父は益々弱ってきていた。お風呂に一人で入るのも難しくなり私が入浴介助を行っていた。三月に入ると食欲も落ちてきた。三月九日、午前中、ケアマネジャーと看護師さんが来て下さり点滴をしてもらった。あまり症状が良くならず午後からかかりつけの先生に来て頂いた。診察して頂き様子を見て頂いたが先生の判断で又入院する事になった。父は動けなかったので救急車で地元の病院に入院した。家ではあまり食べれなかったのに病院での夕食はきれいに食べたのでビックリした。入院してからは食欲も出て見る見るうちに元気になっていった。この調子だとまもなく退院出来ると言われたが私は退院後の父を家で看るのは難しいと考えていた。元気になったといえもう前のように父が自分でインシュリン注射をするのは無理だった。かと言って母もそんな事は出来ない言っている。私も勤務がまちまちで家にいない時もある。家に帰ってもまた同じことを繰り返しそうだ。かかりつけの先生にも入院する前に相談していて隣町の八千代病院(医療施設の病院)に紹介状を書いてもらう予定になっていた。そうした家で看る事の不安を入院中の先生にも相談すると八千代病院に紹介状を書いて頂く事が出来た。早速、紹介状を持って申し込みに行った。念の為に別の施設も申し込んでおいた。三月三十一日、八千代病院から連絡があり四月七日入院の運びとなった。父は当然退院後は家に帰れると思っていたのでそのことをなかなか言い出せないでいた。タイミングをみて父に糖尿病の治療の為八千代病院に移り入院する事を話した。父は納得したかどうか分からなかったが何も言わなかった。

                                つづく