母に出来る事

母の出来る事が年々減って来た。脳梗塞や大腿骨の骨折後はさすがに畑仕事はしなくなったが二~三年前までは暖かい日は外に出て草取りをしていた。ずっとやってきた事なので周りに草が生えていると気になってしょうがないようでいつも気にして調子の良い時は「足が痛い」と言いながらも草取りをしていた。手の届く所なら剪定もしていた。今では家に居る時は外へ出る事は全くしなくなった。塗り絵もなかなかの腕前できれいに塗っていたが最近は簡単な塗り絵も難しくなったようで「どれを塗ったらいいん?」と聞くので「見本を見ながらこっちの塗ってない方を塗るんよ」と言うのだが「どっち、どっち?」と何回も聞いてきて何とか塗り始めたと思ってよく見ると見本の絵の上を一生懸命塗ったりしている。何回説明しても良く分からないようなので機嫌よく塗ってるならいいかと思って今ではそのままにしている。「『天風録』は塗り絵より書き写すだけだから簡単だ」と言うので新聞の記事を切り抜いて拡大コピーすると「よう見える」と喜んで熱心に書き写していたが今ではそれも出来なくなった。テレビも「何を言ってるのか分からん」と言って全く見ない。母は施設より家が良いと言うけれど家に居ても母の楽しめるものがなく何かないかなと私も思案するがなかなか見つからない。しかも何か出来る事があったとしてもすぐに「お腹が痛くなった」とか「しんどくなった」と言ってやり続けるのも難しくなっている。「早う死んだ方がましだ」と言ったり「死ぬのが怖い」という事もある。私はそんな時何と答えたら良いのか分からない。残り少ないであろう母のこれからの日々を少しでも楽しく穏やかに過ごして欲しいと願っているが何をしたら良いのか私自身も分からない。只、淡々と日々を過ごしているだけだ。今年の冬は殊の外寒さも厳しく自分では体調管理が出来なくなった母の体調を崩さないよう配慮するのも大変だった。ずっと二人きりの生活で変化もなく余計に母は退屈し年々認知症も進んできている。母に残された出来る事がこれ以上減らないよう願いながらもうじき迎える母の九十一歳の誕生日(三月二十七日)を元気で迎える事をまずは目先の目標にして日々過ごしている。                つづく